クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

道は遠い

あ、どうもね!

全然元気じゃないし、何の悟りも開いていないんだけど、なんとなく書いてみる気になったよ。

何の悟りも開いてないというか、悟ったといくら思っても、まだまだ足りない部分がいくらでもあって、何回でもそのためにもがき苦しんだ末、思ってもみない出口を見つけるんだなあ、そして過去の自分の過ちに初めて気づくのだなあ、ということを思いつつあるけれど、それに納得できている感じはまだ薄い。

その納得というか、腑に落ちる感じというか、いわゆる悟ったような感覚って、「言葉で説明できるもんじゃない」って言い方は少なからずあって、(どちらかといえば今までは言葉で何とか説明しようとしてたんだけど)今は「知るかー、分からんもんは分からんのじゃ、言葉で理解すること自体が不可能なのじゃ。考えるのではなく感じるのじゃ」みたいなほうに揺れてる。

前のブログの記事はなんとかいくつかはお見せできる方向で調整したいと思っている、段階です。先行き、分からない。

最近は、「日本語」「読み物」「文芸」としての表現にもう少しだけ気を配ってみたいなー、と思い始めました。今は思いついたそのままを打っているだけ(で、それ以上何かする気力や時間が足りない)なんですが、いずれそういう点にも気を使いながら、文章が書けたらいいなと思います。所感。

 

ちなみにこの文章は親指シフトで書かれています。指がしゃべるって楽しそうだと思って、つい導入してしまった。少し前から「つい」とか「なぜか」って表現される、本意に反するような(大抵理性的でない)行動を減らして自分のコントロール力をつけようとしてたんですが、油断しましたね。これ始めちゃうと、途中でローマ字に切り替えるのもなんかしゃくで。でもそんならかな入力のほうがデフォルトで入ってるわけだしトータルでは使い勝手がいいんじゃないかなーと思う。書いてて思ったけどこの流れ、「今まで費やしたものを無駄と思いたくなくて更に投資するスタイル」まんまだなあ。まあ、別にやったらやっただけものにはなるはずだから、全部無駄って話でもない。けど、とりあえず作業が遅いのはかなり困るんで、これ書いたらローマ字入力に戻そうかな。わからん。