クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

20160804 何にもしないをする日

昨日はすごくひさしぶりに、何にもしないをする日、というものを体験した。

時間の概念がなくなるというか、なんとなくやりたくなくて逃避しているときみたいな、わざと無意識で無視しているような感覚とは違って、本当に忘れていて、「あ、いたんだ」と気づく感じ。それでいて、昨日はぜんぜん時計が進まなくて、ゆったりとしていて、本当に不思議な時間だった。

普段はあれやこれやを進めたり成し遂げたりするために、どうしても時間を区切って期限を設けたりして、思い通りに進めていくのを「楽しいこと」ととるようにしているのだけれど、たまに自分の中のパパラギへの反発が強くなると、すべてを放り出したくなる時もある。

たぶん、時間感覚を持たずに遊ぶこと、時間感覚を持って遊ぶこと、どちらもそれぞれの良さと得られないものとある。どちらがよい、と言うより、どちらにもその良さがあって、両方携えてバランスをとるのが大事かしらと思う。

もちろん、この私の住んでいる環境が少なからず決まった時間で動いているから、その世界観に適応して、時間感覚を持って動けるほうが何かと便利だ。そうでなくても太陽が昇ったり沈んだり夏が来たり冬が来たりしている限り、もともと時計とカレンダーは私たちを助けてくれるものだ。きっと、何もしない日を何もしないでいられるように確保するのも、それらの力を借りるほうがたやすいだろう。

筋肉のように、緩んだり、縮んだりするのがいいのだと思う。ゆるみっぱなしでは動けない。ずっと力が入っていても、余分な力ばかり使って進まない。そういう相反するものを同時に取り入れながらバランスをとっていくのが、生きていくコツなのかしらと考えている。

 

 

あと、以前からためになりそうなブログを書きたい欲でうろうろしていてよく分からないことになっていたんですが、日記形式でパーソナルな視点からぼろぼろ書くほうが性格的にもレベル的にも合っているみたいなので、またしばらくそんな感じでいこうかと思います。タイトルもまた変えてみた。なんだかんだでこっちのほうがいいや。また毎日更新しようかな。