クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

型を作る

 あのね、これが本当に真理だなあと思っているのです。

現状を見つめてありのままに捉えて、なおかつそれを無条件にすべて受け入れるというのは、あるときはとても簡単で、またあるときはとても難しいので、誰もが言葉で私が何がどう素晴らしいと思っているのか伝わるわけじゃないとは思うのですが、これは本当にその通りだなあと心から思うのです。

 

改善したいことや変えていきたいことや気になることが多すぎて収拾がつかなくなってきたので、昨日はいったんグーグル先生に「自分 変える」「人生 変える」などのキーワードで教えを乞うたところ、それなりの示唆を享受しまして、今日少し作業が進みましたので、ここに記録します。

コンセプトとして上の言葉を一番におきまして、何か変えたいことや気になっていることについて、とりあえず現状を思いつく限り書き出して、まず受け止めることにしました。そうしてから、「こうなりたい」という理想や目標や改善したい点を書き出し、具体的な実行案へ落とし込むことにしました。

これを久しぶりに手書きで少し実行してみたところ、プライベートに手書きするのもなかなかいいね、と思いました。すべての気になることを挙げて丁寧にひとつひとつ書き出しをしているとどうしても時間が足りなくなるので、まず先に気になっていることを全部挙げてから、特に取り組みたいものを数個ピックアップする形の方がいいかなと思います。

 

そんなわけで、今回整理したのは、時間の使い方や毎日の行動の順番についてです。詳細は省きますが、お風呂の時間を22時に決めました(長風呂スタイルを試しているので多めにとってあります)。そして、お風呂から出た後はもう日常をまわすための作業はやめて、自分の部屋に落ち着いて、リラックスと寝る準備に使うことにしました。朝型に変えるために、寝るのは23時半を目安にしています。

ここではっきりしたのは、夕方帰宅してから私が何かしらの作業に使える時間は22時までだということです。今までまったく時間というものを意識したことがなく、帰宅してからはいつも、時間が無限にあるような、それでいてまったく時間がないような、変な感覚でぼーっと過ごしていました。たぶん少なくとも高校のころからそうです。今、使える時間の輪郭がはっきりしたら、あとこれだけあると明確に言えるようになり、時間に追われるような感覚が早くもなくなったように思います。これまでは少しでも型を作ったり自ら制限したりすると自由や可能性を奪われるように感じて本当に嫌でしたが、今は型のおかげで安定もするし自由になれるというのがとてもしっくりきています。

私は時間の使い方も、毎日の習慣も、物の整理も、まるきり混沌としたままでした。家族はいまもそうです。私はそれが混沌だとも気づかなかったし、どうやってそれに秩序を与えればいいのか、いやそれ以上に秩序がいいものだということも知らずに、ここまで来たような気がします。

今日、これで22時20分ごろになってしまったけれど、私がまた新しい境地へ至ったことを喜びたいと思います。そしてお風呂に入ります。