クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

節目にはブログを

物事に節目や区切りをつけたいとき、ブログを書きたくなる。

今まではこうだったけど、ここからこう変わりますよ、というのを自分の言葉で整理したくなる。ちいさく表明したくなる。そして誰かが反応してくれると嬉しい。

でも現実の周りの人にそれを言いたくはない。ひとつめは私の内面のことというややこしい問題をわざわざ(私の都合に合わせて)聞かせたくないから。ふたつめは内面のことを話しすぎるとこちらも向こうも動きづらくなってぎくしゃくするように感じるから。みっつめは、近くにいる人に「今からこうします」と言うと、どうも監視されているような妙なプレッシャーを勝手に感じてしまって息苦しくなるから。

 

ブログのいいところのひとつは、読み手が好きな時に何を読むか選んで読めるところだ。それに好きな時に書くことができるし、書いたものはかなり長い間そこに残る。会話だと、聞きたいときだけ聞く、話したいときだけ話すというのは難しい。もちろんメールなどにも同じことが言えるけれど、ブログは(たいてい)宛先がないぶん、もっと自由だ。私は自分が興味を持っていることの話を、(むりやり)相手に聞かせる形になるのがこわいのだと思う。話したいのだけれど、(むりやり)聞かせたくない。

近くの知っている人、遠くの知らない人、自分と考えが違う人、似ている人、それぞれと話してみたい内容があって、いろんな理由からあんまり話したくない内容がある。話したくないなら話さなくていい、と最近思う。それは嘘とか不誠実とかアンバランスではなくて、たぶん多くの人がやっていることで、何かをうまくまわしていくための方法、もしくは取捨選択の結果なんじゃないか。

 

私はいろんなことを言語化するのが好きだし、物事をうまくいかせるために工夫をすることも好きだ。それから自分の状況や考えについて、なんでもない内容だけれど誰かに聞いてほしいとも思うこともあるし、すごい発見をしたから誰かに伝えたいと思うこともある。言葉で伝えることがもっとうまくなりたいとも思うし、手早く文章を書けるようになりたいとも思う。

最初にブログを始めたのがどんな理由だったかは忘れてしまった(半分うそ)。以前とは考えが変わっている。でも、そうやって考えを新しく変えて変化していくことというのは、ブログを書くことに期待した結果のひとつだったかもしれない。

 

引っ越ししようと思って作った新しいブログがずっと置いたままになっていて、こっちとあっち、どんな感じにしよう、ひとつにしようか、なんてぐらぐらしていた。このブログは当初思い描いていたブログ像とはぜんぜん違う形になってきたけれど、これもありかな、むしろこれが「自分のブログ」ってことなのかもしれない、なんて思えてきて、とりあえずブログのテンプレートを変えました。またゆっくりと変化していく。

 

以上

今週のお題「私がブログを書く理由」