クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

嫌な考え方をもうしたくない

ネガティブ思考とかマイナス思考とかいろいろ呼び方はあるけれど、とにかくそういう思考をもうしたくない。

嫌な考えや着目点は容易に頭に浮かぶし、それどころか頭から離れないこともあるけど、それを詳しく話したり書いたりしたくない。たまにはどうしても膿がたまって出したほうがいいときもあるけれど、でも嫌な見方をしていたくない。

蟻地獄にはまって嫌なことばかりになってしまう。

ここまで書いて、「~したくない」ばかりだなと思った。

否定形より肯定形のほうが人間には効くらしいって言葉をわりと信じて、目標とかも「~しない」はできるだけ使わないようにしている。(ただ、しないことリストには興味ある。)

それじゃあ自分はどうしたいのかな?

それからもうひとつ、自分でコントロールできることに注目して、できないことにこだわりすぎるのはやめること。

「何回成功する」よりも「何回挑戦する」のほうがコントロールしやすいし、「相手にこういう印象を与える」とかは相手がどう思うかはコントロールできないから「笑顔をこころがける」のほうがコントロールできる。

こういうことを書くと、自分の中の病人みたいな人がめちゃくちゃになじってくるので怖い。私は他人に叩かれること以上に、そいつが叩いてきたり、そいつが「お前そんなんじゃ叩かれるぞ、お前の期待は裏切られるぞ」などと囁いてくるのが怖い。

一番うまくいかなかったときは、もうそいつを全部無視して新しい考えに従うことにして、失敗したら全部新しい奴のせい、と唱えながら自分を変えて、窮地を脱出しようと試みた。そしてそれは割合うまくいった。

でもこうやってたまに出てきてはどんどん心の中でスペースを広げて、私を萎縮させようとする。そのほうが安心だと言ってくる。

「もっと人を信頼したい」と書くと、「今は信頼していないのか」「人を信頼しないような人間なのか」「信頼する奴はわざわざしたいなんて書かないよ」 とつっこんできて、それを書かせないようにする。それが、悪い考え。