クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

やらねばならぬのよいところ

「この世界で、この人生で、やらないといけないことなんて、本当は何もない。」

というのも、ある見方から言えば確かにそうでしょうし、この言葉で肩の荷がスッと降りて、それで楽になることもあるから、価値のある言葉だと思うのです。

でも、

「どこかで、これだけはやらなくてはならない、というものが必ずある」

というのもまた(別の見方から言うと)真であり、この言葉が腑に落ちることもあるでしょう。

 

今まではそういう、やらなくてはいけない、という響きだけでとても苦しくなって、自分をいじめるような負のエネルギーよりも、「やりたい」という正のエネルギーだけで回していこうと試みをし続けていました。「やらなくてはいけないこと」はやらないと困ることだから、困らないためには「やりたい」ことなのだ、というような変換をしていました。
「やらないといけない」に押しつぶされたり、本当はやらなくていいことまで抱えていたりする場合ばかり想定して、そう思い込むことは危険だと思っていました。
 
でも、思想も道具みたいなもので、いい効果を引き出すこともできます。
「やらねばならぬ」と思うと背筋がシャンとしたり、肚が座ったりするように。その重みでうまく安定するような感じ。(「いけない」よりも「ならない」がしっくりきます。)
 
それに「やらねばならぬ」はある意味で楽です。「やらねばならぬ」ことは決まっているのだから、どんな時でもそれをやることに変わりはない。「やりたい」には自分次第で変わりうるという不安定な面があります。「やりたい」という主体的なエネルギーをいつでも持ち続けるのは大変です。
 
本当に「ねばならぬ」ことは自分が思うより僅かで、人によっても違うのでしょう。けれど、確実にあるものなのでしょう。そして、それすら「ねばならぬから」と言うよりも「自分がやりたいからやってるんだ」という姿勢でいるのがいいのだろうな、となんとなく直感します。
 
 
まあこんなのはただのひとつの考え方に過ぎないのですが。
「やらねばならぬ」を自分の力として加えられる気が急にしてきて、また新たな世界が見られそうです