クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

プレッシャー(18日目)

日記を読み返していると、あることに気づく。

私は今までよく変わった人として扱われてきたし、自分でもそう感じていた。

しかし、それを理由にするたびに、あなたは「普通」の範囲だよ、と言われた。

突き抜けていないという意味では、まだ「普通」に近いし、その差を感じる必要はないという意味かもしれない。

しかし、ここではっきり言うが、一体私は確かに「普通」の範疇に収まったりはみ出したりしながらも大概傍からみて問題もなくここまできたが、私の感覚としてそれは私が多少の戦略を身につける程度の知能と少しの努力と鈍感さと幸運に恵まれていてたまたまそうなっただけで、いつ「普通」のなかでのこの違和感が肥大してどこから見ても足が出ているような存在になってしまうか分からないという漠然とした不安が確かにある。

私の立ち位置はごくグレーで、「普通」の人たちは「あなたも仲間だよ」とにっこりしてくれるけれどもどこか離れているような気がして、かといって「普通」から出てしまった人たちからは「お前なんか普通じゃないか」と言われているような気がする。

どちらにつけるとでもないこの微妙な立ち位置はこうもりに似ている。

私が「普通」の皮をかぶったときにどこから見ても足が出ているような状態になったとしても、あなたは「普通」なのにおかしいね、と言われるような気がする。いつまでも「普通」のプレッシャーをかぶせ続けられそうな気がする。

こう書いているうちに、気づいた。

そもそも私のこのささいな違いを、私自身が認めていないのだ。

「お前なんか普通なのに、大げさだ、この自意識過剰」と言われたときに傷つかないために、私自身もまたいつしか「私なんか本当は普通のうちだけど、自分ではちょっと変だと思ってる、(見方によってはどこか)痛い子」と自分を捉えるようにした。

誰が何と言おうと自分の感覚を自分でないがしろにせずに存在を認めて、他人には説明し、自分を守るようにすればよいのか。

こう書くと文字面はずいぶん自分を独自性あふれる他にどこにもない希少な存在として買い被っているようにも見えて、反射的に誰かから攻撃されそうな謎の感覚に包まれる。

でももう、まだ攻撃をされてもいないのに予感から怖がって怖気づいたりひっこめたりするのはやめた。そうやって怖がるわけはもちろん、今まで本命弾でも流れ弾でも明後日の方向へ向いた銃口の前に飛び出したんでも、いろいろ受けて傷ついてきたからであり、それを避けようとしているわけだけれど、もう私はいくつかの種類の弾で傷つかないための方法をおぼろげながら掴みかけているし、別の場所へ行こうとしているならば、弾を恐れていても始まらないのだ。

 

 

留学して以降は、なぜかささいなことにもすぐプレッシャーを感じるようになった。

ほとんど何にでもプレッシャーを感じるようになった。

朝起きること、シャワーを浴びること、メールを打つこと、学校へ行くこと、食べるものを作ること、約束に間に合わせること。自分が初めてすること。自分が苦手なこと。自分が得意だったこと。自分が今まで普通にできていたこと。誰かにとっては普通にできていること。

できなかったらどうしよう。できてしまったらどうしよう。

うつ(のようなもの)になり、自分が前できていたことができなくなっている現状を目の当たりにして自分の変化が怖かったのと同時に、前と変わらない自分を発見すると何も進歩していないし実はうつでもなんでもない(のにだらけている)かのように感じて怖かった。

何かを始めようとすると、自分の期待に反して失敗してがっかりすることが怖かったし、本来失敗するはずが何かの拍子に成功してしまって「できるのだな」と思われることが怖かった。成功したところで次もできるとは限らないのが怖かった。

一度失敗したら、次も失敗するだろうなと自分や他人に思われることが怖かったし、一度失敗したのに、次は成功するかもしれないと自分や他人に思われることが怖かった

一度成功したら、次も成功するだろうなと自分や他人に思われることが怖かった。一度成功したのに、次は失敗して迷惑をかけたり理解してもらえなかったりがっかりさせるのが怖かった

根拠と結果が矛盾し、自分の言い分が嘘くさくなるのが怖かった。

自分の予想した図から外れ、自分の中の自分に激しく叩かれるのが怖かった。あれ、もしかしたらこれが一番大きな理由かもしれない。特に、憔悴している私が怖がっているのかもしれない。

 

他人にはできる範囲でその都度説明をすること。

自分は、物事の意味を見出したり流れを見て予測したりすることよりも、毎回誠実に正直に対応し、ただ事実を事実として捉えて積み重ねること。そして、自分の中の人々ができるだけ自分に悪影響のある動きをしないように説得すること。

さすればもう少しましになる、のかしらん。

 

 

今日したこと:7時半くらいに起きたけれど、ずっとベッドにいたので9時ごろまた眠くなって寝た。11時ごろ起きて、朝食を食べ、ぼーっとしていたら1時過ぎた。これである。そのあとはTwitterをして、映画を観て、シャワーをして、肉じゃがを作って食べた。

語学の勉強や楽器の練習もしようと思っているけれど、まずはこの異常なプレッシャーの仕組みを解いて、気にしなくていいんだよ、ばかばかしいことだよ、と言い聞かせるところから。

 

(※何度か書き足したり表現を変えたりして修正しています)