クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

生活から好きじゃないものを取り除け(70日目午後)

こんまりさんの片づけ術をおさらいしていると、片づけもGTD(Getting Things Done)も買い物も食事も人間関係もライフスタイルも、すべてに共通する根本があって、それがしっかりすれば全部うまくいくんだろうなあ、と思う。

その根本というのは、自分が今本当に好きなものだけ取って、それ以外のものはできるだけどんどん手放していく、ということ。

自分が何が好きなのか、何に興味があるのか、限界まで問い詰めて余計な荷物を減らしていくと、いろんな意味で身軽になるし、空いたスペースには新しいものがどんどん入ってきて、どんどん変化が起きて成長していける。どうでもいいものに惑わされずに、自分にとって本当に大事なものにたくさん時間やエネルギーを注げる。それができたら、無理に「みんなと同じ道」を歩こうとしなくても意外と仲間も、生きていく楽しみも、最低限の方法も、見つかるんじゃないかなと思っている。

その基準を例えばこんまりさんは「ときめくかどうか」に言い換えたんだと思う。

 

わたしたちはとにかく、まだ使える物やまだ価値になるものを捨てずに溜めこむ習性がある。今は必要なくても、いつか使うのではないか、と思ってとっておく。もし捨ててしまったら、必要のある時に手元になかったり、買い直さなければならないかもしれない、と心配する。今使わないもので価値がつくものでも、価値がつくものを手放すのはもったいないとか、売るのは今めんどうだとか、売り時が来てから、なんてぼんやり考える。普段その売り時を定期的にチェックしているわけでもないのに。それどころか、普段はしまいこんだままで、そのものの存在をほとんど忘れていたりする。でも、古いものがあるとそれだけでメモリが少なくなったPCのように動きが悪くなるし、新しいものはなかなか入ってこない。新鮮なものを取り入れて生活に刺激を与えたり少ないエネルギーで楽に動いたりするためには、まず古くて要らないものを捨てるところが肝心だと思う。

また、日本ではまだまだ苦労は美徳であり、好きなこと楽しいことだけして暮らそうとするのは間違いのような、ずるのような、あとあとツケがまわるようなイメージがある。だからこそ多くの人が嫌なことに少なからず堪えつづけ、自分が堪えた分だけ相手にも堪えることを強要しているところがあると思う。もちろん、何かを達成するためには努力も必要な時もあるけれど、その過程を嫌々我慢してやるよりも、楽しくやるほうがエネルギー効率がいいに決まっている。人間が1日に我慢できる量は決まっている。毎日の積み重ねが自分の生活であり、人生であるわけで、そのうちの何時間を我慢して過ごすのか、それとも楽しく過ごすのか、と考えると、楽しく過ごせる時間が少しでも長いほうがよいだろうと思う。(楽しく過ごしていると叩かれるせいで楽しく過ごせない、という人は、また別の問題が絡んでいそうだ。)

そして、わたしたちはなかなか、自分だけにとってのそのものの価値を見極めることができない。普段から、そういう判断の仕方をあまりしていないからだと思う。何かを選ぶにしても、自分個人の価値観以上に、価格や、世間的な評判や、家族や友人など他人の意見にも重きを置いて、さまざまな評価基準を組み合わせて使っている。自分の価値観だと信じていたものも、気付いてみれば世間の考え方に強く影響された結果であって自分の考えではなかったということも多い。それは特にこの日本で生きていくにはむしろ有用な戦法で、そういう戦法を生存戦略として(意識的か無意識かに関わらず)身に着けた人を責める意図はない。けれども、自分の生活の中で楽しく過ごす時間を増やすためには、かなりのノイズになっていると言えると思う。

 

個人的には、オランダに留学していた間にそれを強く意識するようになった。

オランダでは、一人暮らしから実家に帰る友人が、もういらないからと言ってとっておけばまだまだ実家でも使えそうなものをたくさんくれた。それも、定価ならけっこう高そうなものも惜しげもなく私にくれたり別の友人にあげたりしていたし、家電なんかも、使えそうなものはくれたり、ネットフリマみたいなサービスでどんどん中古として売っていた。オランダに着いたときはいろいろ買ったほうがいいなあと思うものがあったけれど、前の住人が置いていったものや友達がくれたもので大体なんとかなることも多かった。買うにしても、安く購入できる手段もいろいろあった。今使っていないものは必要な人のところへ(無料か安価で)まわすし、必要になったときには必ずどこかから(無料か安価で)入手できる、というようなサイクルができあがっているような気すらした。オランダ人はケチな反面、それで節約したお金をチャリティーにまわすため募金大国らしい。楽しそうに暮らしている人が多いし、人と交流するといつもものすごい寛容さ、気楽さを感じてほっとすることが多かった。頼めば見返りなしに快く助けてくれることが何度もあり、もしかして、少なくともここでならお金があまりなくても楽しく充実して生きていけるのではないか、そんな生き方もあるのではないかと気づいた。

もちろん、これらはすでにうまくサイクルができているオランダだからそういう考え方でいられる面もあるかもしれない。日本ではいまだにセーフティーネットがうまく機能していなくて、なんでもお金ありきなところがあると思う。捨てたからと言って、ほしいときにちょうどほしいものが手に入るとは限らない、のは否定できない。使わなくなった人から今必要な人へ届けるシステムもまだ発展途上だろう(最近はネットフリマのアプリが出てきて、どうなるか期待しているところ)。それでも、お金が手に入りにくい日本でお金を一番に生きていくより、楽しいことをして主観的にいい時間を過ごしたほうが、健康でいられて周りにも寛容になれそうだ。こんまりさんの功績を見ると、少なくとも片付けにおいてそれは日本でも通用するし、それならば他の面にも応用していけるだろうとふんでいる。