クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

よく知らない他人の誕生日を心から祝う気持ちが理解できなかった

(2015年11月14日転載)

 

季節が梅雨入りを迎えた先日、大学1年生の妹が誕生日を迎えた。

たまたま同じ部活に所属していて、たまたまその日は部活があったので、部活内の同級生に派手に祝われてプレゼントもいくつも貰っていたのを見た。

家に帰って妹がテーブルに並べたプレゼントは大体がコンビニで買えるようなお菓子類で、パッケージには直接黒の油性ペンでHappy Birthdayやらそれに準じたことが書かれ、「これから末永くよろしく!」「ずっとみんなの星でいてね♪」「トークがめっちゃおもしろい!」(一部文意を損なわない範囲で編集)と書かれていた。

母は、自分はこんなにたくさんもらったことがないよ、と言って、私もそれに同意した。(握手が交わされた。)

父は、自分もだ、そもそも自分は学校が休みで家も忙しい時期だから誕生日を友達に祝ってもらったことがない、と言い、私もまた同意した。(そこで母は、学校はある時期なのにもらっていない自分とは……と言いだして、妹が軽くなだめた。)

 

留学期を経て、ずいぶん考え方が変わったので、もう妹の友達が本当に誕生日を祝っていることも、本当にただプラスな感情でプレゼントを買い、メッセージを書いていること、少なくとも、そういう人たちが存在することは理解するようになった。一体、そのようなプラス感情のかたまりのような人はどのように育って何を考えていてどんな世界観を持っているのかまったく予想がつかないし、予想がつかないぶん私にはまったく違った未知の生物に思えて、それはそれでまったく理解ができないけれど、とりあえずは直接的に悪意を持っているわけではないらしいぶん、無用に嫌な方向へ裏読みをすることが減って少し楽になった。そんなふうに楽しく生きていける面をいいことだとも思うようになった。

 

正直言って、以前の私には、そんなふうに会って2か月と少しくらいで誕生日を全力で祝えるほど好意と興味を多人数に持つということは本当に理解しがたかったし、誕生日プレゼントを買うこともメッセージを書くことも、ある種すぐ考え込んでしまう性質がゆえに面倒で、打算もあった。だから、逆に祝われる立場になったとしても、そこまでのテンションで来られると嬉しくはあっても「理解できない」という思いでどことなく訳の分からない存在へ向ける目をしてしまうことはあったし、メッセージもただ、レッテルを貼られたりよく考えもされていないテキトーなことを書かれたりしているように感じることが多かった。それが実在したか私の気にしすぎかは分からないけれど、「抜かすとかわいそう、平等でないから」という雰囲気すら感じた。「とりあえず祝っとけ」という姿勢は私にとっては本当に嬉しいものではなかった。(今ならとりあえずでもどんな種類でも祝ってくれる気持ちには変わらないから喜んで受け取りたいと思っている。)

 

ただ理解できなかった。

1年後には関係がどうなっているかも、自分がどんな感情を相手に抱くかも予想できない会ったばかりの相手に「末永くよろしく」なんて軽率なことは言えなかった。末永くよろしくと書いたのに1か月後にはその文言に反する仲になっていたら? よろしくしたくないですと取り消すのも何だし、よろしくと書いたものは自分のいいかげんさを証明する失言の言質として存在してしまう。相手もそれを見るたびに白々しく感じるだろう。それは大切な宝物と言うよりもただのゴミになり、なんでもなく捨てられる。私はそうなることもとても悲しいし、そもそもまだ宝物と呼ぶには白々しく無理のある言葉やものをあげることも憚られた。

相手の負担にならずにしかもよく喜ばれそうなものを選ぶのはいつだって骨が折れたし、プレゼントだってタダじゃない。そんなに気にしなくても、気持ちがこもっていればなんでもいいのよ、と人は言うけれど、時間もエネルギーもかけないでテキトーに選ばれたプレゼントはやっぱりそんな雰囲気を放っているし(と思ったのは私の考えすぎだろうか……)、欲しくないものを受け取っても嬉しくないだろう。それはすなわちプレゼントで「あなたは私にとってさして重要ではない」と伝えるに等しいと思っていた。

手書きのメッセージは大抵どこかずれていてそれも相手が私自身を見ているのではないような気分になった。この先も保証できないことをお願いされたり期待されたりすると気が重くなるし、謎の「キャラ」や役割をおしつけられることも多い。祝ってあげたんだからそういう存在でいてねという圧力すら感じる。そもそもかわりばんこに祝うという行為は私にとってずいぶん大変で、祝われたら祝い返さないと居心地が悪いし、同じように義務感だけで祝い返されてもむなしい気持ちになる。

そして、「あなた」に想いを伝えるために受け渡されるはずの物自体が「あなたは重要ではない」と暗に伝えてくるのはさっきの誕生日のプレゼントだけではない。何かのときにもらう色紙やらメッセージやらで、とにかく誰を相手にしても使えるような言葉ばかり並んでいるものは、ひどく空虚だ。とにかく「書いた」「あげた」という事実だけを積み上げて気持ちの量がちゃんとあるかのようにごまかしているように見える。他の人にはびっしりと固有のエピソードが書かれている場合なんか最悪だ。そんなときの色紙にはひどくみじめな気分にさせられる。逆に普段の態度に反してずいぶん好意的な文言や感動的な言葉ばかりが並んでいると、そのときにはなんだか嬉しい気分になるけれど、その次の日からもずっと態度は少しよそよそしいようなものから変わらず、学校を出ればもっとただの知らない人になっていく。私はその空しさと気まずさに堪えられなかった。

それは、新年度のクラス替えのあとの急速なグループ形成にもほとんど加わらなかった理由でもあった。人となりや思想や趣味をほとんど知らない人と「一緒に行こ~」なんて好感と親しみを持っているようにふるまうのには違和感があったし、知らない人とやりとりをすると消耗した。言ってみれば、人となりや思想や趣味に似通ったところがなければ親しみを持って受け入れることができない狭量さが強かったし、私にとって好感というのはずっと付き合ううちに少しずつ蓄積される愛着のようなもので、出会ってよく知らないうちにすぐに好きになるというのはどこか思い込みが激しいのではないか、いいかげんで軽率ではないか(極論として、たとえば殺人犯だったらどうするのか)と思い、理解しがたかった。そうして数か月たつと、クラスのなかも安定して、最初の人とは別の人たちとグループを組んで、挨拶以外あまり親しくしゃべらなくなったりする人もそれなりにいる。そうなる可能性があることに、私は堪えられなかった。自分がするにしろ誰かにされるにしろ、いったん好意があるようにふるまった相手に対して態度が変わるのは、そもそも最初の好意の表明が勘違いや演技や大したことでないものだったと意味しているように思えた。百歩譲ってそのときの好意はそれはそれで本物だったとして、どのみち今、相手にとって自分は特に重要ではないのだ。そういうメッセージを受けることも、もう親しいと思えない相手にあいまいな笑顔で答えるのも、居心地が悪すぎた。私はそうなるよりも、ただ一人で行動して、気の合いそうな人をゆっくり見つけるか、グループが大体形成されて余り組が出るのを待つほうが好きだった。どのみち、気心がしれた人か、これから長く快適に付き合っていけるとある程度確信した相手としか行動をともにする気はなく、一人でいるのも苦ではなくてむしろ余計な時間やエネルギーをとられることがなく快適だった。

たまにはクラスメイトが気を使ってか団体行動に誘ってくれたり、あちらから近づいてきてくれたが、私はそういう初期の団体行動を「仲良くなるために、仲がいい人たちがとる行動をとって仲がいい演出をすることで仲がいいと思い込む」ととらえていて意味を見いだせなかったし、(私は実際困っていないのに)クラスで浮いている人がいると自分の居心地が悪い、助けてあげたい、仲間に入りたいはず、という分かり合えない自己中心的善意で寄ってくる「分かり合えない人」に応対するのは好きではなかった。

そもそも私は自分のしたいこと以外に多くの時間を割くのは無駄だと思っていたし、いつもべたべた一緒に行動する友達づきあいは無駄が多すぎると思っていた。そんなわけだから友達も少なく、若干浮いたところもあったけれど、勉強はできるし何よりひとりが苦ではなかった。だれかをひいきしてだれかを粗末にするよりも、すべての人に公正公平に接するほうが好きだった。一方で実際の人間の中身にはほとんど興味がなく、紋切り型にとらえたり、レッテルでおおざっぱにとらえていた。だからこそ、たとえばよく知らない人間の誕生日を全力で祝ったり、色紙をサッと埋められる人たちが自分とはまったく違うロジックで動いていて、それもまたひとつのありようなのだというある種の真理のようなものにたどり着くのに二十数年かかったわけだ。

 

こんな話をしても大抵の場合、冷たい、ひねくれているとまるで私自身が何か悪いかのように言われるし、理解し合えないことが明るみに出るばかりで、いいことなどほとんどない。だからほとんどの場合、つい断片的に本音を口にしてしまうけれど、相手がよく理解しないうちにやめる。

今はお互いが違う存在であり、違う考えを持っているということをとても肯定的に捉えていて、そういう相手とも話したいと思っている。自分と違うことを恐れるのは減らすようにした。理解し合えない部分がある相手とも、理解し合えないという共通理解があれば、その点について理解し合うことはできると思っている。それに、6月はもう「ばかり」とまでは言えないだろうとも思うし、会ったばかりでも誕生日を祝える気持ちも少しは出るようになった。軽率だとなじる考えはどこかへいってしまった。プレゼントはそれはそれで嬉しいし、人それぞれその個人なりの接し方があって、一概にものさしでは測れないと思うようになった。

しかし、以前の私が今の私の中に溶けているのは変わらず、ここに言語化を少ししておくことで、以前の私の思想とそれを形づくったものをよりはっきりさせると同時に、成仏させるための供養とする。