クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

食べる以外の方法

いったい今まで、食べることは私にとって大変大きな楽しみであって、それを、カロリーを気にして大して美味しくもなさそうものを食べたり、貧相な食事をしたり、おおよそ食事を楽しむ習慣がないというのは大変な損失で、一日三食という限られた機会を最大限に活用するべきだと思ってきた。しかし、ここ一年ほどの経験を踏まえて考えてみると、どうやら自分で思っていた以上に、食べることは自分のなかで大きな地位を占めていて、実際は食べること以外に自分を楽しませたりストレス解消させたりする方法がほとんどないに近い状態なのではないかという疑問が湧いてきた。

どうも私は食べること、満腹を感じることでストレスを解消しているふしがあるようだ。そんなに過食をしているとも思わなかったのでつい最近まで自覚はなかったけれど、どうもそうなのだろうという結論に至った。それからは、ああ、今はイライラしているのをなだめようと食べているな、とか、ただ満腹にするために食べているな、というのを感じるようになった。

少しでもおなかが空くと何かを食べたり、毎食満腹になるまで食べたりする癖があった。美味しいものがあると、できるだけたくさん食べたい、味わいたいと思いながら、ばくばくと勢いよく食べたりしていた。ただ、我に返ってみればその食べ方ではいくら食べても十分に味わえた感じがしないし、それよりも集中してゆっくり食べ物に集中して食べれば、少ない量でももっと味わえて満足できるのではないか、という仮説は容易に浮かんだ。それで、無意味に素早くばくばく食べるのはできるだけやめることにした。食べるのが遅くなると、自分の分まで家族に取られる場合があることだけが気になるけれど……食い意地を張らずに気にしないことにする。

 

私の家族は料理が上手でいつも食べ物にはこだわりがあって美味しいものを作ると思っていたけれど、「あすけん」という食事管理アプリを使い始めたら、素晴らしいと思っていた料理が、なんだか、栄養という観点からみるとずいぶん粗があるように見え始めた。高校生男子の食べるようなボリュームで出てきたり、ラーメンやチャーハンなどキャッチー(で作るのもわりと簡単)な料理が思ったより多いんだなあと気づかされたりして、少し複雑。というか、そもそも料理しているうちの一人が特にカロリーをまったく重要視しない雰囲気があって、きっと私の以前の考え方もそれを鵜呑みにしてできたんだろうな、と思う。

 

食べること以外に、自分が心から楽しめて、集中できて、ストレスを解消できることを探したいと思った。日々の生きる楽しみというか、ちょっとした目的が、「食べること」以外にもほしい。そういう類いとしては前はオタク趣味があったけれど、自分が変化するにつれて興味をなくしたので、違うものを。今は健康や美容に関心をもって、自分の手入れをやってみたりしている。「趣味がない」人ってこういう感じなのかなあ~と思ったりもするけれど、考えてみればそれだって極めれば趣味だよなあ。まだ、自分に関心を持って自分のケアを熱心にやっている人に抵抗を感じる古い自分の存在も感じる。そいつは「意味がない」とか、「自分大好きってやな感じ」とか言ってくる。でも、そんなのはもう今の自分とは違う考え方の人だし、どうせ時間やお金やエネルギーを投資するなら自分に投資したいと思うようになってきた。

運動とか、唇のケアとか、片付けとか、楽器とか、いろいろやってみるといいだろうなと思い付く。何か、もっと自分のなかに取り入れていきたい。どんどん変化していきたい。そう思う。