クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

聴く

普段聞く音楽をクラシックに定めようと思う。
昔から、家ではクラシックしか流れていなかったし、一番馴染みがあるのはクラシックで、それを他人に言うとお嬢様だの何だのと言われるのであまり好まなかったけれど、そういう商売の家なので仕方がないのだ。
中学ごろになると父がTVを見るのと学校の放送やらでJpopも聞いたけれど、周りの熱についていけないのと、母はJpopを見下していたせいとあって、あんまり好きになれなかった。オタクだったからアニソンは聴いたけれど。
そのうち、家の中で某歌手のCDを見つけて(父のものだったらしい)、こっそり聴くうちに彼女と彼女のバンドだけはとても好きになったけれど、母は嫌がっていた。
そのころはYouTubeやニコニコでいろいろ聴いていたように思う。もっと暗い歌詞の歌手を聴いてみたこともある。

ただ、この一連の破壊と再生とも言えるような山を越えて新たな見方で見て、やっぱりクラシックが(育った環境上)一番馴染みがあって落ち着くことには変わりないし、これも音楽の一ジャンルで、それを聴くことにそもそも高尚さなどを感じなくていいなら、地に足をつけながらもこの種類の音楽と生きていけるかなあと思った。
クラシックと生きるも何も、私の聴きたい音楽は他にはなくなってしまったし、どうしても周りがクラシックに対してお嬢様だの何だの囃し立てられるのが嫌だったり、話が通じないのがつまらなくて選民意識を持ってみたり、いろいろしたけれど、そういうのをすべて手放して、ひとつの音楽ジャンルとして見たときに、何らそれを愛するのに権利も義務もいらないし、愛するのはおかしいことではないと思えば、そして謙虚にもっとよく知りたいと思えば、もっとうそのない自然体で愛していけるかしらと思う。

日本語が不安定すぎるけれど、とりあえず更新しておいておく。