クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

感謝

予告通り今日も書く!

昨日記事を書いて、Twitterで久しぶりに発言したりしていたら、あっという間にぐいぐい状態を変えるヒントを思いついて、もうかなり回復(と言っていいのかわかりませんが)して、前に進むエネルギーがわく感覚を取り戻しつつあります。

でも、現実のことすべてが嫌になってしまう後ろ向き状態になっていても、ひどかったときと比べるとずっと元気だなあと思います。遅くても朝に起きて着替えているし、気が進まなくても小さいことならできるし。寝る前の布団の中でふいに、エネルギーもできることも確実にあるということを感じて、なぜだか、ありがたい、恵まれているという気持ちに溢れて、これが感謝の念かしらと思いました。

 

悟るのに感謝が大切というようなことは今までいろいろ聞いてきましたが、正直私にはちっともピンときませんでした。ピンとこないどころか、感謝をするなんて、損をする気がするし、物事の因果関係が把握できていないバカみたいだし、自分に価値がないみたいだと思っていました。自分が困っているのに満たされないのに感謝なんかしていられなかったし、自分が満たされたとしてこいつのおかげとは違うよ、と思っていました。私の思っていた感謝とは、やってもらう代わりの前金とかと一緒で、自分ができないだめな存在であることを思い出させられて悲しくなるものでした。さらに感謝を口にすることで相手が上で相手のほうが大切なんだと思わされたし、自分の何かが減る気がしました。感謝をしたならさらに何かを返さないといけない気がしました。もっと言えば、感謝とは、提供しないと無礼、怒られるものでした。そんなものだから、何も進んで不必要な場には提供しようと思わなかった。なくなってしまうし。それに相手が相手自身のためにやっているとき、何も感謝してやる必要などないように感じました。感謝は借りで、いずれ何かを返さないといけないと思わされました。

また「感謝とは物事を肯定的に見ること」なんて聞くと、よい面にばかり注目して、悪い面や問題から目をそらしていると危ない気がしたし、本質から逃げていて、いつまでたっても問題が解決しないような気がしました。下を見て悦に入る行為とどう違うんだろうとも思いました。現状に満足したなら、もう何もしないで堕落していく気がする。

 

これは少し前に自分のメモに書いた内容と大体同じものなんですが、こう書いてみたとき、自分でもなんだか私の「感謝」についての概念は偏っているようだなあと思いました。

どこがどうとは書きませんが、今はどれもなんだか違う気がします。

感謝とは(相対的にではなく)絶対的に幸せだなあ、ある点において満たされているなあ、恵まれているなあというのを感じたときに溢れてくるのかもしれません。そして、そう感じること自体が心地よく、それでいて、満たされていることを自覚しても罪悪感にかられたり努力をやめたりするどころか、いっそう自分に合ったペースで自分の活動を進めようと思えるから不思議です。それでいて、何の重荷やプレッシャーも感じません。

不思議です。こんな気持ちになったことなんてなかった。世界にはまだまだ知らない面白いものがたくさんあります。そういうものを見聞きしたり、体験したりしたら、新しいことがわかるかなあと思います。

 

そんな精神状態はなかなか気分がよくて、物事も前より楽に進められるし、何より進めること自体が楽しくすらあるし、驚きです。(これっていわゆる躁に近いのではと思ったりもしますが、まあ必要なら追々わかるでしょう。)

 

今日の話はこれで終わります。明日もたぶん書きます。