ストレス発散の行為が別のストレスを生む
嫌なことや我慢しなくてはいけないことがあると、どうもその反動で部屋に引きこもって非生産的なこと、意味のないことを延々とやりたくなる。
実際にその好意が非生産的かどうか、意味がないかどうかというのは複雑な問題だけれど、とりあえず一般的に、そのように見られることの多い行為だと思う。ゲームだとか、動画を見るだとか。
そういうことをしていると、時間がどんどんなくなっていって、びっくりする。
まずい、まだあれもやってない、これもやってない、と思う。
寝たくないな、明日になってほしくないな、と思う。
「夜更かしをしてしまう理由の一つは今日に満足していないから」というツイートをどこかで見たけれど、大体それだと思う。やりたいことをやりたい放題にやっているはずなのに、すっきりするどころか、別のストレスが溜まっているようにも感じる。
だから、自分の負担を増やさない別の方法で発散させるか、自分の負担を減らす行為そのもので発散できるようになったらいいのかもしれない。
ストレスを感じたとき、私はなんでもやりたい放題にやりたくなる。
ずっとゲームをするとか、動画を見るとか、やらなければいけないことをやらないでいるとか、考えてみるとずっと禁じられてきたことが多い。私は今まで自由にできなかったことをやりたいだけやることで、自由を感じようとしているのかもしれない。わからない。
でも、正直やっているとちゅうで目は痛くなるし、身体はこわばるし、あんまり心地よいってわけでもないと思う。ついつい止められなくなって、最後には「そろそろ止めたいんだけど、止めるのもいや」というよくわからない状態に陥って、物理的に不可能になるまで苦しみながらやり続けたりする。
そういうことをしていると、別のことにも支障が出て、結局ほかのことまでうまく回らなくなる。余計いやになってしまう。
だから、どうせストレスを発散するなら、それをやってストレス発散になり、他のよい効果も得られる、という一石二鳥、三鳥くらいを狙えることをやるようにしたらいいんじゃないかなあと思う。もしくは時間を区切ってその時間内で終わらせるとか。
ストレス発散に何かをすると、その行為が別のストレスの原因になる、というのは、ひとり永久機関かな? デフレスパイラルかな?
どうせなら好循環を作り出したいかな。
うーん、言いたかったことの半分も書いてないけど今日はここまで