祈る、本音を言う
なんとなく、いつからか祈るようになった。
祈るといっても、特定の神や大いなる何かを信仰しているわけでも、特にそれらに対してベクトルを向けているわけでもない。
なんとなく、すべてがうまくいくといいなあと思って、できることはぜんぶしたいと思うけれど、自分にできないこともあって、またどうしても運やめぐりあわせみたいなことで誰にもどうにもできないことがあって、そういうのもすべてひっくるめて、うまくいってほしい気持ちの表現というか。
祈るとか願うとか望むとか、それだけでプラスに働くことというのが、なんとなくある気がする。いや、おそらく科学的にはなんの効果もないはずなんだけど、少なくとも精神面ではあってもまったくの無駄ではない気がする。
いまだ人類の認知できていない高度科学、みたいなロマンの話だといいなあ。
しばらく書いてなかったことと、前の記事がちょっとアレなので更新しようと思ったけど、似たような話を書いてる。
最近のことなんですけど、本音を言わなくても言っても後悔するから、その加減がとても難しい。(実生活の出来事のこと。)
たぶん、ネットでくらい、本音を言ってもいい気がするんだけど、やっぱり人付き合い、社会のあるところで100%本音ってのは実現しないと思うし、したところで誰も幸せにならないのだろうと思う。そういう場合、そもそも何が本音かっていうのも難しいし。
「つらいとき、つらいと言えたらいいのになあ」なんて歌に昔は「いや、言えばいいのに」と思っていたけれど、だんだん言うのが難しくなってきてしまった。これは上記の話とは少し違う文脈だけれど。
あ、あとしょうこりもなくブログタイトルをいじっている