クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

20160708

部屋にあるものを捨てたい。

 

こうなりたいとかこれができるようになりたいとか自然に思えてそのためにつながる行動が自然に選べるときと、意固地になって何もやらないって言い張るときとがある。

たぶん、後者は手負いの獣のような状態で、これ以上何も傷も苦労も損もごめんだと言っている。投資してみる余裕もないし、そんなの無駄だと思っている。

そういうときに、なぜか「今やる必要もなくて、それをやるなら他のことをしたほうがいいから…」と思っているようなことをすると、とたんに転がるように物事が動き始めて、驚くほど状況が変わったりする。

 

どうでもいいような小さなことについてこれは大事だという予感がするし、それはだいたい本当のところなのだけれど、その感覚自体やその感覚を信用することについて、意見を同じくする人がいなくて、さみしい。大体自分に必要なものも感覚で分かるから、無駄なものを買ってしまったり、必要なものだけれど買うのに抵抗がある、という人のしくみがわかりません。

かといえば、自分だってもちろんトチくるっているときはあって、だから「バッカじゃねえの~」と安易に笑うのもおかしいと知っている。

 

苦しい、苦しい。

To Doや時間の使い方を整理したいけれど、それをやりだすとすべての無駄を排除しようとしてしまって苦しくなる。だから、再開するのは少し不安だ。

 

バラバラな文の羅列だけれど、とても意味のある行為をしている、少なくとも私にとっては。