クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

20160707

私は言葉に独特のこだわりがあるようだ。

できるだけ、言葉の意味に正確に使おうとする。言葉の意味を”正しく”読み取ろうとするため、言外の意味に気づきにくい。相手の言いたいことが分かっていても、「あなたはこういう表現を使ったから、私はこう読み取るよ。嫌だったらちゃんと私に伝わる言葉を使ってよね」みたいな意地悪をすることがある。(書いてて思うけど何様なんだ。)

実は、「言葉通りに受け取ってしまって言外の意味が読み取れない」ということは案外少ないのだけれど、言葉通りに受け取るやり方に固執して分からないふりをすることはそれなりにあったかもしれない。

他にも、自分が納得していないことは絶対にできなかったし、いろんなこだわりがあった。

私はそれらを変えたり制御したりする方法を見つけたのだけど、それをすると、こだわっていたときの気持ちが分からなくなって、むしろこだわっているような人をバカにするような感覚が湧いてきて、それがいやになった。バカにしないで、「苦しんでいるんだね」って言うと、頑張っている自分が、「私も苦しいんですけど! 何もしないで認められるなら何もしたくない!」って言い出す。私が頑張れるのは「まだ足りない」と思っているときで、「よくできたね」と言ったとたんに、「じゃあもういいよね、もう十分でしょ」といって放り出してしまう。だから私は自分に「よくできたね」なんて言ったことなかった。「能力があるんだからできるのは当たり前でしょ」「恵まれているんだからそのくらいできなくちゃ」「他の人より時間がかかっているんだから、他の人よりいいものが出せて当たり前でしょ」そうやってハードルを上げて何にも手が付けられなくなる。

だって、よくできたねって言ったのに、どうして明日も頑張らなくちゃいけないの。明日も、その次の明日も、その次も、頑張らなくちゃいけないなんてとてもたえられないし(※本来少しずつ見てこなす量について合計して想像するくせがあり、これもまた立ちすくむ原因のひとつになっている)、そもそも苦しいのが楽しいって、おかしくない? なんかマッチョなこと言われても心がつぶれてしまうだけなんですけど!!!!

ということを言ってくる、自分の中の自分を、切り捨てたり成仏させることができないのが悩みです。私はこういう考えを持っている人を説得したい、という欲求があって、これを手放すと、その考え方を忘れてしまって、うまく伝えられなくなったり、またこういう人を傷つけることになったりするのではと、惜しい気持ちでいっぱいです。

もっと状態がひどかったときにもたびたびこの問題で悩んでいて、一回目は「こんなやばい生き物にかかわっていられない」、二回目は「今生きるのが優先だから!! あなたは私が生きる邪魔をしているから、ごめん、むり!!」、三回目は「あなたの議論の土台に私は乗らないし、答える義務もないの。あなたの議論を相手にしないということが、私の今の価値観の答え」、そして四回目は「私の言っていることは本当に分からないだろうけど、ぜったいあなたにとっていい道を見つけ出すから、あなたの幸せを祈るから、長期的にあなたのためにもなるって保証するから、だから今は私の思うようにやらせて」とどんどん回答は変わってきたわけですが、今ここでまた悩んでいます。これだけちょくちょく再発していると、今回さよならしてもまた出てきそうで、それならさっさとさよならしてしまえとも思いますが、どうもそうもいかず。

そもそもね、相手の気持ちを感じ取るのが苦手かもしれない。登場人物の心情なら読み取るのは得意だし、本や映画でぼろぼろ泣くし怖がりますが、案外物語に入り込みやすい性質があるだけで、感じ方の違う他人の気持ちは感じ取れないのかもしれない……。本や映画でぼろぼろ泣くのは、どちらかというと抑圧してきた自分の感情を追体験して泣いているのに近いのかもと思った。

自分と考え方や感じ方が違う人を受け入れられるようになれば、かつての自分を傷つけるんじゃないかとむやみに心配するのがましになるような気がする。すぐ、自分に置き換えて理解できない人のことを、「あのひとどうしてああなのかな? こうすればいいのに」なんて無責任に言いたくなってしまう。

なんとか自分を変えようと足掻いても何もうまくいかない、それで追い込まれてただその今のありようを認めたとき、自然と変わり始める、ということがある。たぶん、それなんだけど、現状を認めるって難しいね。

私は今までにいろいろ変わってきたり苦しかったり、いろいろな経験をした。だから、「すればいいのに」って言える。先の予想がついているし、自分を変えたり管理したりする面白さを知っている(なんだったら趣味にしようとした)。でもその部分は他人を説得するのに使えない。まずは私がうまくいくことが大切なのに、ついつい他人の世話を焼いてしまう。私はどちらかというと他人の世話ばかりして自分が疎かになりがちなので、他人の役に立ちたいという欲求は気をつけて扱ったほうがいい。(そもそも他人の役に立ちたいのは、自分は役に立たないといらない存在だと思っているから、というふしがあるのでなかなか触れられない。)

 

なんだかね、なんだかなあ。To Doやスケジュールを管理するのも、唐突にいやになってしまって、どうせならその「いや」のメカニズムをこの際解体したい! なんてやっているうちに、日にちがけっこう経ってしまった。うーん、そんな贅沢を言っている場合ではないんだろうな。

とりあえず眠くなってきたので更新。