クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

幸運を活かす

自分が「恵まれている」ことがずっと申し訳なく苦痛だったが、その「恵まれている」部分を私が手放したとして特に誰もこれ以上幸せにならないので、(そしてそもそもそんな蛮勇はないので)「恵み」をそこそこ享受しながら普通であろうとするよりも、「恵み」を活かしてできるだけ自分の能力を伸ばしたり経験を積んだりして、自分を磨くほうがずっとましだと思った。強くなったら、自分だけじゃなくて誰かを助けることもできるよね。

たまたま「与えられている」「恵まれている」ことに罪悪感を抱いたり肩身が狭く感じたりするという人は他にもいるのではないかと思うのだけれど、それはそもそも自分で選べることではたぶんなくて。自分の持っている権利を手放したところで誰かがそれを代わりに使えるわけでもなく機会が消失するだけ、であれば、せめてそれを有効活用して、まず自分を幸せにして、そして周りの人が幸せになる助けができたらいい。それに、誰かがあなた宛てにくれたものを投げ捨てて腐らせることは(もちろん当人の自由だけれども)あまりよいことではなさそうだ。

同じところに一緒にとどまるよりも、ずっと先の世界を見て景色を伝えたり、誰かが伸ばした手を掴んだり、そういうやり方のほうが少なくとも私には合っているのかなと思う。突き抜けていく。理解できないような芸当をこなしていく。どうなっているのか、外から見るとわけのわからないような人になっていく。(そのくらいの意気込みで、やっと自分にかけたストッパーが外れて、人並みにふるまえるような気もする。)

 

 

※なんてことを書くのはいまだに自分の中で、お前一人だけのうのうと利益を享受するなと責める声が強いからです