クラゲフラグメント

人生の意味がわかってたまるかと思っていた頃の自分へ

曲がり角とか呼ばれるもの

もうどうしようもない、どうしていいかわからないと思ったとき

・物理的な断捨離(自分の身の回りのものを捨てる)
・時間的な断捨離(何にどのくらいの時間をとっているかみて、やらないことを決める)
・精神的な断捨離(心配や不安は身体によくないのと、愛情をもってことに当たるほうがうまくいきやすい、心配なことは今できることを書き出して行動に移すといいし、集中する先を選ぶ)
・文章を書きまくる(人の目にさらすのもよい)





私はもともととにかく言葉が出やすいタイプなのだろうと思うのだけど、感情的になっているときに出てくる言葉って(受け止めるのがよいけれども)必ずしも正しいとか本当の感覚とか思う必要はないんだなということを思っている。
昔から「させられている」感覚が強くて、操作されるのが大嫌い、影響されるのもきらい、説得されるのもきらい。
自分の意志でやるのはがまんならないけど従わざるをえないなら全力で従うよっていうのもあった。
あと何か言行一致してほしくて、実現しないなら言うな、言うなら実現させろ、みたいな部分があった。
感情やなんとなくモヤモヤする、というようなことを理屈で「なにもない」と処理しようとして、よくつまづいていた。泣きわめく自分に「そんなことしても意味ないでしょう」と言い、自分自身「確かにそうだ」と思い、泣きわめく自分をなんとか(自分の都合に沿うように、自分の理屈で)なだめすかそうとしていた。(ただそれは自分のもっとも嫌うもの、操作であった)

断捨離とは更新作業なのだな
言語化は認識したり終わらせたりするための作業なのだな

またくる