fitnessという概念を軸に(69日目・未明)
なんかね、そろそろ運動しようかなって思うことが増えたんですよ。
ただね、もう日本でいう「ダイエット」とか「痩せる」とか、もうやめようよって言いたいし、関わりたくないんです。
「痩せる」って肉も筋肉も脂肪も落ちて細くなるみたいなイメージないですか? いやまあ、メタボの人が健康的に痩せるっていうのももちろんあると思いますが、若い女の子の雑誌でかわいいモデルさんが「痩せる♡」みたいに言ってるやつ、なんかもう個人的に違和感がとてもあって。で、体重が何キロ落ちたとかウエストが細くなったとかそういう話になるじゃないですか。そのへんは、結果は目に見えるものに数値化しようとするとどうしてもそうなるのかもしれないですが。で、まあ最近は雑誌でも「ちゃんと食べよう」とか「運動しよう」みたいなことは言っているから、とにかく体重を減らせばいいって極端な風潮とまではいかないんですが、細さの基準についてはいまだに美容体型が標準扱いで健康体型がすでにデブみたいな、極端な痩せ信仰を感じます。体型に限らず、ファッションや肌や人付き合いなど、なんでも、かなり完璧にやってる状態が普通レベル扱いで、少しでも自分にとって楽で自然な状態に戻ると「ダメ人間」「ちゃんとやれよ」みたいな空気を感じてしまって自分からそう自虐してしまうところもあり、表でやる自虐と別のところで自分をヨシヨシすごいできていればまだいいんですが、表の自分の言葉を自分でも信じてしまうとどんどんきつくなりますよね。
そういう意図もあって自分が自分のために自分から運動をするとして、それを「ダイエット」「痩せよう」と呼ぶのはイヤでした。
「筋肉をつけ、しなやかで長時間でも動かしやすい、十分に機能する体を作る」という意味で、「ダイエット」や「痩せる」より適切な言葉を探しています
— 遠野あかり(楽しい) (@ten_light) 2015, 6月 9
そこでまず「引き締める」「体作り」「肉体改造」「体調管理」「健康管理」などを思いついたんですが、最終的に英語の「fitness」(フィットネス)という単語に行き当たったのです!
よって(生物学者以外の人がこの語を用いる場合は)「fitness フィットネス」というのは、肉体的観点、健康的観点で望ましいと考えられている状態に適っている状態、およびそういう状態でいること、そういう状態 でいる/になる ために行う行為・活動などを指している。
うーん、良いですね!
日本のダイエットや痩せることと言うと、健康的な面とともに、見た目を整えることでQOLを上げる面も強いと思いますが、「fitness」の概念では、「(イヤな思いをすることを減らし)健康的に生きる」という意味でくくれて、いい感じです。
これを読むまでは、そのように(いわゆる)健康志向になろうとすると、健康オタクになってしまうのでは? そしてそれは目指したいものとは違うのでは? という懸念がありましたが、あくまで「楽しく快適に生きる、肉体的にも精神的にも望ましい状態でいればもっと楽しく暮らせる」ということを目的に据えることで、健康に執着するあまり実生活を阻害されたり誰かに嫌な思いをさせたりすることもないかなと思いました。
というわけで、今の状態を整理するために、私がfitnessを始める理由を、今始める理由として適するものと適さないものに分けて書いてみます。
理由としてキープしておきたいこと
・体力がないと遊びにくい。やりたいことをやりにくい。
階段の上り下りや歩き倒しで疲れてしまって休憩が必要になる! 人と話すとすぐ疲れる! 体や頭や心を動かすとすぐ電池が切れたように寝る!
・正直太ももが邪魔
これってデブあるあるだと思うんですが、歩くと内ももが擦れるんです。しかもここのところスカートを穿いているせいで擦れが直接起きていて、まだ皮膚に問題は起きてませんが「まだ」のレベルなので、改善すべきだと言えます。
・健康的な生活を維持する
睡眠サイクルや何やらを維持するのに、一定の運動が必要だって言うじゃないですか。あと、精神面の不健康を軽減するのにも運動が有効だって言うじゃないですか。
・食べる量とのバランスを取りたい
動いてない割にまともに食べるんで、しかも(おそらくストレスや惰性もあって)大食いするんで、自分の心と頭と話し合って調節する以外にも、最終的には身体を動かしたりして解決する必要が出てくると思いました。まったく運動しないより運動を挟んだほうが、おいしいもの食べて楽しく生きるには合ってるだろうしね。
・運動と体調管理を楽しみたい。
小学生のころは体育のたびに憂鬱だった子供でしたが、今は運動はそんなに嫌いじゃないです。毎日これを何回やると脚が細くなってく、みたいなのもけっこう楽しみます。そういう意味では「ダイエット」を楽しんでる面もありました。まあ、当時はそれ以上に「バカにされたくない」「スクールカースト下位に戻るのはイヤ」というような強迫感もあったので、それは川に流して手放していきたいです。
正直なところ理由ではあるけれど、極力意識したくないこと
・正直、まだ人の目が気になる。
いくら自分の体を自分で肯定しつつあると言っても、正直これはまだまだあります。すっぴんに近いとか、毛の処理がラフだとか、体型だとか。洋服も、体型を生かすというよりまだまだ(日本の価値観で言う)マイナスに見える部分を隠して痩せ見え、みたいなところを狙ってるところがあります。まあ、もちろんそれもきれいに美しく見せる戦略のひとつであって、アレルギーを起こして忌避するものでもないんでしょうが……。そうすると、別に運動するのはそこまで嫌じゃないし、服が自由にきれいに着られるくらいまでダイエットするか~というノリになって、一方でちょっと待てよ? と思うわけです。
そもそも、日本の、「太っている」ことへの、なんとなく下に見るような視線が私はいやです。そして、若い人が着るおしゃれな服は、太っていると着られないし細くないときれいに見えない、という現状がいやです。太っていても痩せていてもおしゃれでも適当な服でも、扱いが特に変わらない留学先が過ごしやすくていいなと思いました。
そして、それを支持するからといって、「じゃあ太っていないとウソだし、ダサいかっこうをしてろよ」というのも違うんです。自分は自分の好きな体型でいていいし、おしゃれをしたかったらすればいい、したくなかったらしなくていい、というのを支持しながら、「自分がやりたくて」体型やおしゃれに気を使うのはぜんぜんアリです。その文化自体はいいところもあるし、楽しいこともいっぱいあります。ただ、やりたくない人やできない人、事情のある人に意地悪な態度をとらないで、って話です。(ここでは太ってる・ダサいことが笑われることのように書いてますが、文化圏によっては、おしゃれをしてる人たちを笑ったり除け者にするコミュニティもあると思います。それもモヤモヤする……。)
もちろん日本で暮らす以上、自分のQOLを上げるために見た目を整える、というのも全然ありなんですが、そうすると気づかないうちにまた飲み込まれてしまいそうで今はこわいです。ということで、これはこちらに分類。
・正直、もう少し細いほうがQOLが上がりそう
上記とほとんど似てますが、これは、まわりからの扱いが変わるという意味と、自分に自信がつくという2点でできています。まわりからの扱いは自分では変えようもないので、ある程度生きやすい方向に順応して楽にしていくのもよいと思いますが、それだけだと結局生きづらい社会(主観)を消極的に肯定して生きづらく生きる感じに戻ってしまう気がして。どうなるかはわかりませんが、もう少し足掻いていきたいですね!
アッ12時過ぎてしまった! 間に合わせようとがんばったのに……
まあいいや~
夜更かしを防ぐ意味でもできるだけ日付は12時を変更線にしていきたいんですが、そこのところも表記ルールをもう少し考えてみます
追記:
前の記事を見たら未明って書いてあって、つまり、6月9日の分は書けていたわけであり、欠番ではなかったのである。
タイトル修正した。
私自身何がどうなったのか把握できないのはよくないなーと思うけれども、ブログを続けた日数を書いていくのはやめたくないのでさてどうしようかな