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作った途端に使いたくなる。
それが「リアルタイム」である。
なんかねー、さっきも書いたけどTwitterはフラットすぎるんだよね。フラットって表現は変だけど。
全部まぜこぜでTLに流れてくるし、フォローするアカウントは選べても、流れてくるツイートは自分で選べないでしょ? それでしかも自分のTLに流れてくるでしょ? だからトラブルも起きやすいんだと思う。
こういう形でどこかへ「見に行く」形だと、ちょっといい意味で壁があって、こっちもあっちもいい気がする。
だからブログもまだまだ栄えてるんだと思う。
さっきの記事でも言ったけど、本音というか素の言葉をあまり言わないようになってた。伝わるようにとか、怖いからとか、傷つかないようにとか、傷つけないようにとかそんな理由。自分のすぐ思いついた言葉よりも、そこから加工した言葉を言っていた。もちろんそれもコミュニケーションに役立つ素敵な技術なんだと思う。嘘とかとはまた違うし。でもたまには、自分の庭でくらい、自分の言葉で自分の言いたいことを言ったほうがいい気がした。ので、ここで喋る。ことにする。
周囲に共感できる相手が少なかったり見つけられなかったりしたら、やっぱりネットでしょ。って理屈で、ネットでのコミュニケーションを続けています。
私はいろいろ同じ経験や同じような思いをしている人が少なくて、まあ別に仲良くなるのにはそんなの違っても関係なくて仲良くなれるもんなんですけど、それでもたまに同じような経験をした人と「わかり」合いたいって強く思うたちです。もうなんなら、分かり合える人が少なかった、って部分をわかり合えればそれでいいです。
Twitterでもそういう「わかる!」があって、本当に心地よかったです。
ああ、なんか久しぶりに書いて大雨のあとの川みたいにゴウゴウ流れてくる。あまりに流れにまかせても、際限のない自動思考みたいになってしまうのでいったん止めます。たぶん、この方式にしてよかった。